福岡高等裁判所 昭和27年(う)680号 判決
然し、凡そ犯罪行為として処罰するがためには、特別の規定のない限り、その行為者に罪を犯す意即ち故意がなければならないことはいうまでもないところで、そのことは作為犯であろうと不作為犯であろうと理を異にするものではない。
而して本件については、右にいう特別規定はない。ところが、記録を精査してみると、被告人が右のような報告義務者でありその報告をしていないことは判るが、起訴状記載の犯行時、被告人において、自己に起訴状記載のような具体的報告義務の存在していることを認識していた事実は、ついに認めることができない。
原判決は被告人に一旦麻薬の所持についての認識があつた以上、その後その麻薬の所持を全然忘却していたとしても、そのものが客観的に見て、被告人の実力的支配の中にあることが明かであるから、なおその所持は継続しているものというべく、従つて被告人は本件麻薬について、その報告義務を免れるものではない。よつて被告人側の麻薬所持についての認識がなかつたから本件犯罪を構成しないとの主張を排斥する旨説明している。然し本件は報告義務違反罪であり、所持罪ではない。所持罪は、人が物を保管するため、そのものに対して実力的支配関係を開始する意識行為と、その実力関係の持続を客観的に表明する容態があれば足りその物の所持人が、常にその物を所持しているということを意識して必要はないとしても、これを本件麻薬所持の報告義務違反にそのまゝあてはめて、報告義務違反罪として処罰するのは筋違いである。麻薬所持開始後、その所持について認識がないでも、所定の報告義務を免れないことは勿論であるが、所持についての具体的の認識なくして、その報告義務を客観的に怠つたというだけでは、その報告義務違反罪として処罰できないこと、前段説明で明らかであろう。即ち原判決は事実の誤認があるか或は法令の適用に誤があり、その誤が判決に影響を及ぼすこと明らかである。